ABOUT

 令和となり、現実と非現実の狭間で、途方に暮れているためか、世界をなかなか正確に認識することが難しくなりました。私たちの生活は多様化と画一化といった矛盾した二つの方向へとシフトしています。それにより、精神と身体の2つの間の分裂ではなく、精神と身体がそれぞれで四方八方に分裂した状態になることがあります。「世界からの人間細分裂病化現象」とも言えるかもしれません。社会という目に見えにくい世界の中で、波に乗り切れず、さらに波に飲み込まれる人たちがたくさんいます。そんな人たちを、助けるためでもなく、見捨てるためでもない、どっち着かずな研究所を作るのが求められていると感じました。自分の困り事を自分の言葉で、皆と共有することで、さらにその事柄についての考えが深まり、新しい世界の見方やアイデア、発想が生まれるかもしれません。社会の中での行動やふるまいから、他人や社会とどう関係を作っていけるかを一緒に考えていきます。ここには、悲劇と喜劇が重なり合って、境界不明瞭になる瞬間があるかもしれません。

トマト観察の理由は、「人=ト、間=マ」で、「トマト=人+間+人」と表せ、人と人との間にあるもの、人と人との間に媒介しているものは何かについて、観察を行うからです。自己と他者(家族、友人、隣人、動物、知らない人など)、自己と他者の間を媒介する空間(故郷、世界、都市、田舎、社会、家、学校、自分の部屋など)、その間を媒介する時間(リズム、動き、睡眠時間、夢など)、その間を媒介するモノ(趣味、出来事、食事、電気、バッグ、洋服、漫画、映画、宗教、文化、雰囲気など)について、ありのままの観察をし、解釈をせず、記述していきます。現象学的観察・記述の至るところには、超越論的還元が起こると言われていますが、おそらく起こらないのが現実でありまして、起こることが非現実であります。しかし、現実と非現実のはざまで、途方にくれながら、のらりくらりしている現実世界は、もしかすると超越論的還元が起こるかもしれません。現実なのか非現実なのかの問いは、トマトが野菜なのか果物なのかに似ています。トマトは野菜とわかりつつも、たまに果物のようなトマトがあります。同様に赤いトマトは白いトマトになるかもしれません。何を言いたいかというと、フィクションかノン・フィクションかは問題ではなく、世俗的な自叙伝を書き続けるか、そして、他者のエッセイや自叙伝を読んで、判断を保留しながら受け止めつつも、多少毒を吐きつつ、一方で毒を浴びながら、とりあえず前を向いて進んでいけるのかということです。これが「フィジカルに不快でしかないような世界(人間細分裂病化現象を起こす世界)に対して、それを乗りこなす主観の能動性(自分の世界を自分の言葉で語り、他者と共有すること)から来るメタ・フィジカルな快」の生成であり、私的な表現として「赤いトマトが白いトマトになるか」であります。

弱電魚養育の理由についてですが、弱電魚はブラジルの水中の暗いところに住み、目が不自由でありますが、その代わりに電気でコミュニケーションをとります。例としては、ブラックファントムゴーストと呼ばれている魚です。これは、現代日本の引きこもりが暗いところに住み、スマートフォンやコンピューターで他者とコミュニケーションをとっている姿と似ています。現代社会で人と人との媒介物として主に使われいるのは、電気や電波と言っても過言ではありません。電気や電波に対する弱電魚のふるまいや行為、身のこなし方を観察し、弱電魚の生活空間を考えることは、もしかしたら今後の日本の居心地の良さを追求することにつながるかもしれません。ユングの集団的無意識、メリメスの動物磁気、フーリエの情動引力などは昔から言われてますが、人と人とが集う空間や時間に、どんな力が働いているのでしょうか。そういったことを共に考え、自らの生活空間の中で生きていく術を模索していければと思います。


研究員(依頼人)のルール

・自分の困り事について、自主的に研究をすること。

・研究内容は共有すること。

・他人の研究についても考えること。

・医療活動ではないこと。

・慈善事業ではないこと。

・問題が起こることが前提であること。

・本人自身を含め、人を殺さないこと。

・火事を起こさないこと。

・相手を非難しないこと。

・聴取したことを関係者以外には公言しないこと。


問い合わせ

E‐mail:kenshintaroh@gmail.com


スタッフ 

赤貝 太郎 社長 

専門 : 解離性障害、パニック障害、スポーツ


本間 勇人 専務

専門:統合失調症、自転車


小林 未来 所長
専門:統合失調症、うつ病、引きこもり

百々山 プシコ 研究員 

専門:統合失調症、宗教、建築

精神科研修医時代に読んだ本たちのまとめ。パスワードは「エポケー・ラボ」。